今欲しい物がある。
まず、小さくていいから冷蔵庫。
そしてラジカセ。
ドライヤーもあると便利だし、勉強机も欲しい。
あ、本棚も。
贅沢を言えばタイ語の勉強にテレビがあると嬉しいし、洗濯機があれば素晴らしい。
欲張りなようだけど、考えてみるとどれも日本にいたら当たり前にある物だ。
それが今の生活にはない。
だけど不思議なもので、なければないで生活できてしまう。
別に不自由も感じないし不足にも思わない。
こんなものかって。
冷蔵庫がなくて腐らせた物は多いけど、
時々友人の冷蔵庫に入れさせてもらっている。
急いで髪の毛を乾かしたい時は扇風機でなんとかなっているし、
本棚はとりあえず段ボール箱に布を被せて作った。
机は部屋に付いている鏡台と兼用している。
テレビは友達の部屋に見に行くし、洗濯機は脱水だけ友達に借りている。
こうやって考えると私の生活は友達でなりたっている気がする。
物は引越しの時に大変だから極力買わないようにしていることもあるけど、
貯金と相談するとあまり贅沢はしてられない。
だけどシンプルな生活も悪くない。
今でこそバイクは手放せないけど、
自転車に乗っていた時はそれなりに間に合っていた。
冷蔵庫やテレビがなくても生活できてしまう。
そうやって考えていくと、人間あまり物なんて必要ない気がしてくる。
生活水準が高くなると個人個人が「自分の物」を持ち始める。
便利になる分、他人と関わる必要がなくなってくると思う。
例えば、お金がないうちは1軒屋に家族や親戚全員が一緒に暮らすし、
部屋を借りても何人かで暮らす。
移動手段がないうちはバスに乗ったり、車がある人に乗せてもらう。
テレビがない人は、持っている人の家に集まって見る。
それが各人が自分の物を持ち始めると、人に頼る必要がなくなってくる。
人と関わらなくても自分だけでなんとかなってしまう。
自分の家に住み、自分の車で出かける。
スーパーで買い物をして帰ってきたら、
自分の冷蔵庫から冷えたビールを取り出し、
自分のテレビで好きな番組を好きなだけ見ることができる。
1日誰とも口をきかなくてすんでしまう。
人といちいち関わらないでいい。
これを「楽」ととる人もいるだろう。
だけど私はタイにいる間はこの物がない生活を
「良い機会」として楽しんでみようかと思っている。
正直、少しずつ物を増やしたいけど、今のところ物持ちのタイ人にあまえようと思う。
わざわざ面倒と思っても友達に「冷蔵庫貸して」「テレビ見せて」と行く。
そんな触れ合いを続けるのもいいかなと。